昭和の鉄道写真ネットショップ 「鉄道写真70's」へようこそ。
当サイトは、なつかしの70年代の鉄道カラー写真 (画像ファイル) のネットショップです。
販売価格は、一律ワンコイン(500円)です。
鉄道写真は、高品質なポジフィルムをデジタル変換した「JPEGファイル」です。
(1977年から1979年にかけての国鉄・私鉄・路面電車の電車・気動車・SLや鉄道風景)
特に
飯田線・
鶴見線に代表されるような旧型国電や、
名鉄・
近鉄・
山陽電車等の大手私鉄や、
大井川鉄道・
関東鉄道等各地のローカル私鉄の旧型車の車両写真は非常に豊富です。
ほとんどがプロ用機材とプロ用カラーポジフィルム(コダクローム64)による撮影ですので、もともと画質と発色が抜群の上、40年以上経過した今でも色の退化もほとんど無く、当時のリアルな色合いの電車や気動車の鉄道カラー写真をお楽しみいただけます。(昭和40年代の写真はネガフィルム)
鉄道写真をお求めの方は、写真ナンバーを記載の上、
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決済で個人間取引が不安な場合は、ヤフオクに固定価格(500円)で出品いたします。
1970年代の国鉄 旧型国電・旧型気動車(ディーゼルカー)
昭和50年代の鉄道カラー写真
1970年代の私鉄 電車・気動車・電気機関車・蒸気機関車
昭和50年代の鉄道カラー写真
1970年代の路面電車
昭和50年代の鉄道カラー写真
オレンジとクリーム色のツートーンに塗装された中古気動車が、編成美を無視してゴチャゴチャに混結されていた頃の、なつかしい鉄道写真です。
カナリア色に塗装された旧型車が吊掛駆動の轟音を響かせながら、赤城山の麓を走っていました。
その後は東武鉄道や西武鉄道の中古車に変わり、今は井の頭線の中古が主力。
高崎駅の片隅から、ピンクに紺色の帯を巻いた旧型車が発着していました。
オリジナルの高性能車もありましたが、人気者はシーメンスのデキ1でした。
70年代の熊谷の秩父鉄道はブラウン系ツートーンの旧型車と自社発注の高性能車が主役でした。
元ロクサンの73系が主役だった鶴見線は、大川支線単行17m国電に人気が集中していました。
73系も改造のパターンがいろいろあって、マニアックな渋さがありました。
昭和の南武線も旧型国電宝庫でしたが、中でも浜川崎支線の17m国電は大人気でした
ときおり走っていたED16型電気機関車も70年代の風物詩でした。
昭和50年代は、オレンジ色に白帯に塗装された買収国電の旧型車が主役でした。
しかも、1両たりとも同じ形状の電車はなく、今とは隔世の感です。
セージクリーム その前はベージュにオレンジ色のツートーンに塗装された旧型車 7300系が、特急や急行に使われ、当然乗客の評判は最悪でした。
70年代の東京都営地下鉄浅草線は、5000系オンリー。
昭和の京浜急行は、蒲田線に280系、太師線や本線に400系の原型や更新車が走っていました。
グリーン1色に塗装された湘南型2枚窓の旧型車 2000系が幅をきかせていました。
人気者は高尾線に走っていた3枚窓の2600系で、さよなら運転は大変な賑わいでした。
昭和の西武鉄道は、パッと見 高性能車の旧型吊り掛け車がメインで、450系・500系・600系・700系等が節操なく混結され、塗装もイエロー車はまだ少数派でした。
昭和の小田急は多摩センター線が開通したばかりで、旧型吊掛駆動の1900系が主役でした。
本線にはNSE車「はこね」もSE車「あさぎり」も両方現役でした。
昭和の東京都電といえば、イエローに赤帯塗装の6000系と7000系が主役。
7500系が新車デビューした頃で、塗装も青帯に変わった頃です。
今でも人気の江ノ電は、昭和50年代はクリームとグリーンのツートーン塗装旧型車オンリー。
中でも元東急玉電のたまご型600系は人気炸裂でした。
大井川鉄道の昭和50年代は強烈な旧型車の寄せ集めで、千頭には木造国電の廃車体があり、富士身延鉄道・北陸鉄道・名鉄・西武鉄道の旧型車が現役で活躍していました。
昭和の岳南はオレンジ色に白帯がよく似合う、元小田急の旧型車が主役。
自社発注の日本車両標準仕様が新車に見えましたが、実は足回りは木造車でした。
昭和の富士急行電鉄は、薄いブルーと白のツートーンの17m国電や自社発注の吊掛車オンリー。
塗装がボロボロの荷物電車も名物でした。
流線型電車 52系が走っていた頃の、1970年代の飯田線は超人気路線で、他にもクモハユニ64系・種々雑多な旧型国電・スカ型一等車改造車などの中古国電が混結されていました。
昭和の名鉄は旧型車オンパレードで、3400系、800系、3800系、元東急3850系等がダークグリーンやクリームに赤帯の急行色に塗装されていましたが、この頃レッド一色に塗り替えられました。
70年代の瀬戸線はまだ600Vで、赤に白帯の2300系やグリーン1色の700系等の旧型車オンリー。
ちょうど栄地下乗り入れ工事が始まった頃で、大曽根-土居下までは地上線のままでした。
70年代の豊橋鉄道はクリーム色に赤帯の、名鉄急行車にそっくりな塗装の旧型車がメイン。
名鉄・静岡鉄道の中古に加え、特に豊川鉄道の車両は貴重な存在でした。
高山本線や関西本線の70年代は、キハ17やキハ20が現役でした。
名鉄の600V区間といえば岐阜が旧型車の宝庫で、赤と白のツートーン 揖斐谷汲線の元美濃電510系タマゴ型を筆頭に、ダークグリーン塗装された700系・元瀬戸電760系等が大活躍していました。
昭和の岐阜市内は路面電車が主役で、自社発注のチンチン電車に加え、金沢市電や札幌市電の中古車や揖斐線直通の旧美濃電510系が活躍していました。
昭和の近鉄養老線は元南大阪線・元伊勢電・元吉野鉄道などの旧型車寄せ集め。
そんな中でも、クロスシートの元カモシカ号5800系と元名古屋線特急6500系は新車に感じました。
昭和のナロー線区代表格 近鉄内部線は、ブラウンに塗装された小型車が単行運転されていました。
全てが三重交通時代の原型のままで、味わい深い旧型車の宝庫でした。
地味で知名度もなかった三岐鉄道ですが、実は味のある旧型車の宝庫でした。
昭和の山陽本線は、電気機関車に人気集中。
瀬野八のEF59重連に関門トンネル用のステンレスEF30も、もう遠い昔の思い出。
昭和50年代近鉄は旧型車が淘汰される寸前で、かろうじて2200系や6300系が残っていました。
生駒線や田原本線にも300系・400系等の小型車がいて楽しめました。
昭和の近江鉄道はミニチュア西武鉄道のような湘南窓の旧型車が主役でしたが、マニアの間では凸型の古風な電気機関車の方が人気でした。
昭和の京阪電車はテレビカーが名物で、京津線も路面電車状態でした。
1970年代の京都は地下鉄もなく、京阪電車も鴨川沿い地上を走っていました。
中でも京阪四条の平面交差は名物でした。
阪急電鉄も1970年代までは700系などの吊り掛け駆動車が活躍していました。
一円電車! 生野鉱山の名物でした。
昭和のローカル私鉄といえば、廃線になってしまった別府鉄道ははずせません。
土山線はダブルルーフの木造車鋼体化客車、野口線はバケットタイプのガソリン車が大人気でしたが、この頃片上鉄道の中古車キハ05に置き換えられつつありました。
昭和のサンデンといえば、クリームと紺色のツートーンに塗装された3000系に加え、820系+270系や2700系が主役で、たまに来る2000系がバラエティー豊かで大好きでした。
1970年代の広島電鉄宮島線は、元阪急電鉄などの中古旧型車が単行走っていました。
市内線直通の連接車とホームの高さが違う2段プラットホームが特徴でした。
70年代の広島市内線は、大阪市電・神戸市電等の中古路面電車が主役でした。
そんな旧型車の中では、宮島線直通用の連接車が光って見えました。
映画「RAILWAYS」で一躍有名になった一畑電車ですが、昭和50年代はオレンジ色の電車はどんどんクリームに青帯の新塗装に塗り替えられていました。
オレンジ色は「手動扉車」という意味だったので、要は自動扉化されていったということです。